私の名前は…
『正しく純粋に』という祖父の願いが込められ『正純 まさすみ』と名付けられました。幼少期は毎日のように映画ばかり観ており、呆れた母にビデオを全て捨てられる程でした。今でも自他ともに認める映画好きに変わりはありません。
学生時代は…
陸上部に所属し小中高と9年間走り続けました。100mを専門としていましたが中学2年の夏に「おまえに100mは無理だ」と突然監督に告げられ、4年間プライドをもって走り続けた100mを諦めることになりました。
その後、短距離走の中ではもっともキツイとされる400m走に挑戦する事になります。
100m走から外された悔しさと、400m走の練習の苦しさから泣きながら走る日もありましたが『400mで絶対に監督を見返す』と胸に刻み込み、来る日も来る日も走り続けました。そのかいあり、中学三年生の大会では何度も表彰台に上がることができました。今となっては自分の得意な距離が100mではなく400mだという的確な判断をしてくれた監督に感謝しております。
ちょうどその頃…
練習で足に痛みがでていた私は父の行きつけの整骨院に通う事になります。
痛みで満足に走れない時もあったので、それからは足に痛みがでるとすぐに治療して頂きました。この出会いから治療家になることを決意して、東京の専門学校に入学しました。
横浜から東京にある専門学校まで三年間、毎日片道一時間かけて通学して、治療家としての基礎と志を学びました。
そんな中…
三年の夏に貧血と体調不良で緊急入院してしまいます。
検査の結果胃潰瘍で胃から大量出血しており、もう少し処置が遅かったら死んでしまうほど重症でした。その日以来、自分が成し遂げる使命と生きていることへの感謝をかみしめております。その後、体調も順調に回復し国家試験を一発合格して故郷秋田に帰ってきました。
ご縁あって…
『スッキリ本舗はり・きゅう秋田中央整骨院』に入社。
入社から8年間、現青山バランスアップ治療院院長、青山先生の下で治療家としての技術、志を学び、その後2年半院長を務めました。
10年間地域の方々の健康の為に日夜治療に励みながら治療技術と治療家としての意識を高めました。
令和2年4月…
より秋田市広面にて『すみ治療院』を開院。秋田の方々に心も体も健康になって頂きたく日々治療に励んでいます。また、多くの方に健康や美容について知ってほしくSNSで情報発信をしています。
最後に…
治療家としての姿勢を見せ続けてくれている青山先生、勤務時代支えてくれた整骨院スタッフの皆さん、いつも温かく見守ってくれている家族に感謝しております。
皆様のご期待に応えられるように日々精進してまいりますので、何とぞよろしくお願いいたします。
最後まで読んでいただいきありがとうございました。次はあなたのストーリーを聞かせて下さい。